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日本语听力 第13课 女性の结婚観
编辑:逝水流年 识别码:23-1003099 14号文库 发布时间: 2024-05-21 01:16:21 来源:网络

第一篇:日本语听力 第13课 女性の结婚観

日本语听力

第13課 女性の結婚観

会話1

みどり:田中さん、あのう、これから夜のパーティーに出るつもりですが・・・ 田 中:はい。

みどり:着るもののことなんですが、やっぱりロングドレスを着なければなりませんか。

田 中:そうですねえ。必ずしも長くなくてもいいと思いますよ。だけど、カジュアルな服装では失礼ですから、やっぱりきちんとした格好でなければいけないでしょうね。

みどり:はい、わかりました。どうもありがとうございました。

2a 田中さんはこれから夜のパーティーに出ます。b 田中さんは夜のパーティーに出る時、女性はロングドレスを着なければだめだと言っていました。

c 田中さんは夜のパーティーに出る時、女性はカジュアル服を着なければだめだと言っていました。

d 田中さんは夜のパーティーに出る時、女性はカジュアルな服を着なければだめだと言っていました。

会話2

:帰国する前に、一度茶道が見たいんですが・・・

真理子:そうですか。祖母がお茶の先生で、毎週の日曜日、家でお茶を教えております。若しご都合がよかったら、ぜひうちへ遊びに来て下さい。王

:それはいいですね。

・・・

お婆さん:真理子、お茶をたてて。王さん、お菓子を先にどうぞ。王

:えっ、先にお菓子をいただくんですか。

お婆さん:ええ。甘いお菓子の後、お茶を召し上がると、おいしんですよ。王

:そうですか。

お婆さん:では、お茶を飲みましょう。私がするとおりに、なさってくださいね。まず右手でお茶碗を取って、左手に載せます。王

:これでいいですか。

お婆さん:はい。次にお茶碗を2回回して、それから召し上がります。いかがですか。

:少し苦いですが、おいしいです。

2a お菓子が美味しからです。

b お菓子がたくさんあるからです。c お茶が美味しくないからです。d お茶がちょっと苦いからです。

会話3

佐藤:鈴木さん、この前話してたテレサ・マネりのコンサートだけど、いつ聞きに行く?

鈴木:今日は何日だっけ。

佐藤:1日だ。私、今週だったら、月、水、金の午後空いてるんだけど。鈴木:水曜日の午後は授業がないから・・・あ、でも今週中に英語のレポートを出さなきゃ。

佐藤:じゃあ、来週は。

鈴木:ええと、水曜日か金曜日の午後ならいいよ。佐藤:私は、月曜と金曜の午後は何もないから。鈴木:じゃあ、そうしよう。

2a 授業がたくさんあるからです。b ほかの約束があるからです。

c 英語のレポートを出さなければならないからです。d 日本語のレポートを出さなければならないからです。

文章

1980年代の後半から、日本の男性は結婚しにくくなりました。一つの原因は二十代から三十代なかばの女性は同じ世代の男性より少ないことです。もう一つの原因は若い女性はけっこんしたがらなくなったことです。

女性がこう考えるようになっている背景には女性の社会しんしつがあります。昔の男は仕事、女は家事というの考えはいまでも残っています。女性は外で働いていても、家事も全部やらなければならないと考える人はすくなくありません。女性は結婚と仕事を両立させようとしたら、その負担がいっそう重くなりました。それで、最近、仕事を持っている女性たちは自分が興味を持っている仕事やせっかくに手に入れた経済的にも時間的にも余裕のある自由な生活を、そのような負担のある結婚生活のために簡単にあきらめることができないと考えているのです。

こういう女性は新しい結婚観はかなり定着してきたように思われます。実際は、一生結婚するつもりがないという女性はまだ少ないです。しかし、自分が納得できる結婚相手が見つからない限り、結婚しないという女性は増えいていることは確かです。

聞いてみよう

1a 20代の男性は女性より少ないからです。b 女性の社会への進出のせいです。c 女性が結婚したがらないからです。

d 女性が「結婚」と「仕事」を両立させようとしたら、その負担は一層大きくなるからです。

2a 1980年代の後半から、日本の男性の結婚は難しくなりました。b 従来の女性は家事だけして、外で働いていませんでした。c 「男は仕事、女は家事」という考えは今でも残っています。d 日本の女性は仕事をしたら、家事はしなくてもいいのです。

書いてみよう

1、20代から30代半ば

結婚をしたがらなくなった

興味を持っている仕事

負担のある結婚生活

2、(1)その背景には女性の社会進出があります。

(2)昔は「男は仕事、女は家事」というような考えを持っていました。

(3)いいえ、実際には、一生結婚するつもりはないという女は、まだ少ないです。

(4)自分が納得できる結婚相手が見つからない限り結婚しないという考えをもつ女性が増えています。

第二篇:中国人女性の结婚観

経済力

中国人女性の結婚観で、まず男性選びの基本は、何よりも「男らしさ」である。ただし、中国人女性の考える「男らしさ」とは、日本人女性のそれとは異なる。中国人女性が求める「男らしさ」の最大のポイントは、なんといっても才能があるか、あるいは成功をおさめているかの一点に尽きる。経済力があっても「男らしくない人」は多々いるはずだが、「経済力=男らしさ」と考えるのが今の中国人女性である。

市場経済の中で、拝金主義的な価値観に勢いがついたせいもあるが、今の中国人女性は、男性の経済力にまず目を向ける。中国人女性は共働きに馴染んでいるとはいえ、やはり夫に経済の大黒柱になってほしいと思う女性が多いのである。それに、経済力のある男性と結婚すれば、なんといっても面子がたつのだ。中国人女性の結婚観は、面子も抜きでは語れないのである。ただし、ここで新たな問題も生じてきた。金を持つ男性は、愛情に移り変わりやすい世の中になってきていることだ。「男が金持ちになると、必ず悪いヤツになる。女は悪いヤツになれば、必ず金持ちになる。」といった言葉が、中国のどこでも聞こえてくる。男性の経済的な成功は、男選びの際の両刃の剣になっているようだ。

年上の男性

中国人女性の結婚観の第二の条件は、自分よりも年上であること。一般的に、中国人女性は自分より年上の男性に魅力を感じる。中国では経験重視の考え方が根強く残っているため、年上の男性が魅力的に見える。

中国人女性が理想の男性を語るときによく使う言葉のひとつが「穏重」である。それは文字通り、穏健で、言動が慎み深く、男としての重みがあることである。そのうえ穏健の下には自身も溢れている。これこそ中国人女性が惹かれる成熟した男のイメージなのだ。

ユーモア

中国人女性の結婚観、第三のキーワードは「ユーモア」である。会話でユーモアのセンスを感じさせる男性は、中国人女性に受けがよい。これは才気溢れることの証だと考えられるからだ。家族ぐるみの付き合いを重視する中国では、友人らと社交的なコミュニケーションをする場合、自分の夫が上品な冗句を言い、みんなの笑いを誘い、雰囲気を盛り上げさせることが上手なら、妻にとっても面子がたつからである。

優しさ

中国人女性の結婚観で、男性に必ず求められるもの、それは「優しさ」である。とはいっても、これはこれは世界共通ともいえる必須事項であり、今さら説明の必要はない。

中国人女性の結婚観の変化

202_年のアンケート結果によると、日本人男性との結婚を望む中国人女性が求める条件は、「若さ」がトップ。これに「性格や人柄」「外見」「相性やフィーリング」「収入」「職業」が続いた。日中国際結婚と聞いて思い浮かべるのは若い中国人女性と年配の日本人男性という図式だが、アンケートの結果はこうしたイメージを覆すものとなった。これまでは、中国人女性との結婚を望む日本人男性といえば、嫁不足に悩む地方在住者か、日本人女性には相手にされないような条件の人で、こうした日本人男性との結婚に積極的なのは中国でも貧しい地区の女性というイメージが定着していたが、最近はこうした傾向にも変化が生じている。

多様な恋愛チャンス

結婚の相手選びのポイントはやはり人柄が第一位、一方で経済力を求める傾向も

小学生の頃からバレエを学んでいた上海出身の美女・クリスさんは80年代生まれの現代女性だ。今こそ青春を謳歌している彼女は二つの学部で学位を取得した才媛だが、「豊かな経済力があってこそ、安定が得られる」と考え、「資産と事業の基礎を持った成功者」を結婚の相手として募集中である。彼女は自分の長所をアピールしようと、エグゼクティブを紹介するお見合い番組で、手製料理を披露し、中国で「ダイヤモンド」と呼ばれる事業で成功した独身男性5人に試食させている。

クリスさんの話はいささか極端な例だが、資料の上でも、1994年以降は結婚相手に求めるものに経済力を挙げる人が顕著に増えてきている。上海社会科学院・青少年研究所がホワイトカラーの女性を対象に行った調査で、彼女たちが希望する結婚相手の職業が「実業家」、「科学技術者」、「弁護士」であることがわかった。

結婚相手の選択基準は過去数十年で大きく変わり続けている。1950年代に若い女性に人気があった男性の職業は労働者、農民、解放軍兵士で、相手に求めるものは、第一が政治的な好条件、第二が仕事の保障、第三が経済的安定で、第四が品行方正である。60年は文革期にあったため、恋愛や結婚にも階級が重視され、無産者階級出身のお墨付きが必要であった。70年代は人々が物質を重視し始めた時代で、留学経験者や海外関係の職業にある男性に人気が集まった。80年代は知識や才能を尊重する社会風潮が起こり、女性は男性に高い学識を求めている。90年代に入ると人々の暮らしは絶えず向上を続け、精神生活に対する関心も高まったため、若者は男女ともに「気の会う人」を結婚相手に望んでいた。

この研究所が出した最新の調査結果では、過去25年間、社会が如何に変化しようと、優れた道徳観、人格は一貫して結婚相手に求めるものの上位に入っている。202_年の調査でも、その順位は1位が高い道徳観、2位が共通の趣味、3位が性格の良さであった。しかし、経済力重視の傾向も最近の若い女性の間で顕著に見え、容姿や身長は経済力に早々と上位を明け渡し、年齢や学歴も経済力次第で妥協できる項目になりつつある。

恋愛、結婚の主導権

中国では伝統的に、恋愛あるいは結婚で主導権を握ってきたのは男性であった。「愛を告白するのは男性で、女性から心を打ち明けるべきではない」という考えは、少し前なら中国でも一般的であったが、最近の都市部の若い女性は、「黙って白馬の王子が迎えに来るのを待つ」という方法に見切りをつけているようだ。この方法では、自分にプロポーズしてくる男性が好ましいとは限らないし、しかも、好ましくないからと遣り過ごしてしまっては、次のチャンスがいつ巡って来るかも分からない。今日では待つことを止めて、女性から男性にプロポーズするパターンも珍しくなくなった。最初に紹介した「アメジスト」もそうだった。もう、女性は面子にこだわらないし、周囲にそれを「はしたない」と言う人もいない。中国の一人っ子政策の影響もあるだろう。今の若い女性はみな一人娘で、昔のように男女の別をやかましく言われて育ったわけではない。また、社会の女性重視の風潮も関係しているだろう。過去、中国の家庭は伝統的に「妻が夫に頼りきる」というスタイルで成り立ってきたが、今日では「平等協力」に改められた。ほとんどの家庭は夫婦共稼ぎで、ともに固定収入があり、家庭の問題も家事も二人で計画しながら、分担でそれぞれの役割を果たしていく。男女はともに同権で自分の意見を述べ、財産や現金の管理も共同で行われる。女性が仕事だけでなく、家事の主導権を握ろうとするなら、これは家庭の「総理」である。生活水準の向上は女性の生活スタイルをも変え、経済的な独立は家庭内での女性の地位を向上させた。「男性は外、女性は内」と言う伝統的な仕事分担も顕しく変化し、男性の家事に対する意識も変わった。家庭の大事を決めるときの女性の発言権も強化されてきている。

家庭の質が重視され、核家族志向が高まる

30歳の王遂青さんは蘭州のある病院に勤務する医師だ。結婚2年前目の彼は、ローンで買ったマンションに奥さんと一緒に暮らし、週末になると両親の様子を見に実家に帰ることにしている。

社会と経済の不断の発展に従い、中国の若年層の結婚生活は構造、観念、形式のあらゆる面で大きな変化を見せている。若い夫婦は大家族への依存を好まず、自立した「小家庭」を望むようになった。

初めての交際相手とそのままゴールインするカップルは少なくなり、独身主義者も増えてきている昨今だが、現代人の結婚に対する考え方は柔軟かつ寛容になり、離婚経験者も昔のような後ろめたさを感じなくてよくなった。性格の不一致や様々な原因でうまく行かなくなったなら、離婚するのも自然なことだと人々は思っている。しかし、多くの若者は、「結婚したなら、生涯添い遂げる」と言う考え方に賛同、あるいは好意的な態度を示している。北京の青年発展状況調査では、89.1%の若者が結婚を最良の帰結と考え、結婚を望み、56.5%若者が夫婦と子供一人の核家族を望んでいることが分かった。

青年層の経済収入が増加し、価値観が変化するにつれ、多くの夫婦は家庭の中に閉じこもるだけの生活に疑問を持つようになった。彼らも結婚生活を重視しているが、結婚を生活の全部とは考えていないのだ。更に多くの人々が、豊富な見識を持つことで、自分の結婚生活を充実させたいと望んでいる。

第三篇:私の幸福観

私の幸福観

このテーマを初めて見たとき、脳内に出た考えは人と人の間でお互いに助けることです。私たちは親戚や友達と一緒にこの世界で生活するので、美しい生活雰囲気が作れるのです。それに、世の中で困難に会わない人はいないと思っているのです。もしそのとき、私たちのそばに誰でも助けをあげる人がいなかったら、きっと絶望しやすいでしょう。子供の時代、家族や先生などの大人たちはいつも言ったのは、私たちが人を助けるのを楽しくなると、幸福の子になるのです。だから、私は小さい時彼たちの話を信じて、助けを尋ねた人にあったら、彼のそばへ行って聞いたのです。もし彼の困難が私にも解決できたら、真面目にやってあげたのです。また、周囲の人々は全部優しくて純粋だから、困難にあっても、心配するのは必要なかったのです。

毎回私が悲しければ、友達はを私の気持ちを発見して、助けてくれたのです。そして、「元気を出して」と私に言った後、いい解決方法を考えてくれたのです。それは幸福だろうと私はそう思ったのです。

一回、生徒会の先輩は規定どおりの時間で完成して彼に引き渡す任務を私に任せたのです。あの時私は経験がなかったので、考えが全然思えなかったが、友達は自分の仕事をやめて、私のところに来ていろいろな方法を教えてくれたのです。最後にこの任務をかんべきに完成したのです。その時私の心は幸福に溢れたのです。

大人になった、あった人と物事が多くなったのです。この世界の人は全部優しいのではないと知っていたのです。例えば、インターネットやテレビや新聞などで読んだニュースによると、誰かが危ない状況があった時、そばにいった人たちは見えないように直接離れたのです。なんと冷たい人たちだなあと私は感じたのです。

この世界はどうだったのでしょうか、私は今まだ答えられないのです。ただ、このあまり睦まじい社会で、真心に互いに助ける人がだんだん少なくなるから、そばにいる友達が私を助けてくれたら、心からの感じは全部幸せになるのです。

ある人は私に文句して、追求している幸福はいったい何かがわからないのです。私も考えていて、幸せはなんでしょうか。よく考えた後、幸せは人から真心に褒め称える笑顔だと思ったのです。そこで、幸福はどこでもあるから、その必要のひとつは幸せを発現できる目です。

積極的な態度をもって生活の美しさを作られて、周囲の人もこともきれいになると思っているのです。人と人は互いに助けられるなら、この社会はきっと楽しくて睦まじくなるでしょう。

悲しい気持ちになった時、友達を忘れないで頼んで一緒に困難を直面して、勇気を出して幸福の生活に向かっているのです。友達の誠意を信じて、私たちに対して互いの助けは何の意味がわかっていさえすれば、きっと自分の幸福感を見つけられると思うのです。

第四篇:日本人の戦争観

多元的な戦争観を見せたのである。

二、靖国神社の遊就館から見る日本人の戦争観

靖国神社は、東京都千代田区にある神社であり、旧称は東京招魂社で、本来幕末から明治維新にかけて功のあった志士達を祭神としたが、1879年から靖国神社に改称されて、日本の国内外の事変・戦争等、国事に殉じた日本の軍人、軍属等を主な祭神とするになった。1978年10月17日に極東国際軍事裁判が裁判された14名のA級戦犯と1000名以上のB、C級戦犯は靖国神社拝殿に迎えられて供養されてきた。今までの246万人以上の被祀者の中に、第二次世界大戦で死亡した人は80%を占めている。その中、日中戦争と太平洋戦争の画策者・東条英機や南京大虐殺の主犯者・松井石根なども含まれる。

靖国神社の入口の前に、二つの記念碑は建てられて、記念碑の下に16枚の浮き彫りが刻まれた。そのうち、数の多くは題材が中国と関係がある。例えば、1894年に日本軍艦が清朝の北洋艦隊を破った場面、1933年に日本軍隊が山海関を占領した場面、1937年に日本軍隊が天津城を占領した場面など。

遊就館は、靖国神社拝殿の右側にあり、1万平方メートルの面積を持ち、二階建ての「軍事博物館」である。「遊就館」という名称は、『荀子』勧学篇の「君子居必択郷遊必就士」(君子は遠出をする時、道徳のある人から彼らの品格を習うべき。)から由来したと言われる。つまり、遊就館を見学に来た人にとって、「英霊」の行為を賞賛し、習うべきという意であろう。遊就館の中に展示されるものは、主に戦争兵器、記録映画、戦没者の写真と遺書と遺物など。しかし、ほとんどの展示品は、いわゆる「聖戦」を宣伝することに設置されたのである。例えば、遊就館の中に繰り返して放送される二つの記録映画は、その一つが1937年の侵略戦争を「シナ事変」と称し、もう一つのが太平洋戦争を「自衛戦争」と称する。だから、遊就館は「軍事博物館」と言われるより、第二次世界大戦を喧伝するところと言われる方が適切であろう。

靖国神社の館長は、番組側から提出したフェース・ツー・フェースの取材希望を断ったが、参拝者の人数や参拝者の年齢と構成などの問題について紙面で答えた。参拝者の人数については、「今までの参拝者人数の統計は大変難しいけれど、去年(202_年)の人数は500万人です。」と答えた。参拝者の年齢と構成については、「やはり難しいが、近年以来若者の参拝者の人数が増える傾向があるということは明確的です。」と答えた。この現象について、白岩松は「読売新聞」の渡辺恒雄を取材した。彼は以下のような評論をした。「日本の国民はね、あの戦争を知り、あるいはあの戦争を体験した人は殆ど死んでしま

って、現代の日本国民は殆ど戦争を知らない。・・・・・・戦争の知識は、学校もちゃんと教えない。日本の現代史、世界の現代史も教えない、教科書で。何も知らないまま、戦争というものは、誰が起こしたのか、誰が犠牲したのか知らずんです。」

靖国神社の向こうは、東京理科大学の所在である。このラストシーンは、私にとって印象深かった。どんな戦争観でも、「理」を提唱すべきが、しかし、靖国神社特に遊就館から見れば、第二次世界大戦に対して一部分の日本人は、歴史を曲解し、戦争を美化するという「靖国戦争観」を持っている。

三、立命館大学国際平和ミュージアムから見る日本人の戦争観

立命館大学国際平和ミュージアムは、立命館大学が設立した「平和」をテーマとした博物館である。第二次世界大戦の間、立命館大学は数千人の学生を戦場へ赴かせたことがある。しかし、戦後の立命館大学は「平和と民主主義」を教学理念として、そして1992年にその理念を具体化するために、国際平和ミュージアムを設立した。

ところが、立命館大学国際平和ミュージアムで展示された物品は、遊就館でのとは正反対である。遊就館で曲解された事実は、ここで本当の形ではっきりと示された。展示品には、日本軍隊が行われた細菌戦や毒ガス戦などの関連資料、慰安婦の強制連行の関連資料、南京大虐殺の関連資料などがある。その他、東京大空襲などの関連資料も展示されて、見学者に日本国民も戦争の被害者というイメージを伝えている。東京大空襲について、78歳の東京出身の解説員は、そういう話をした。

「その大空襲の恐ろしさは、いままでも強強と覚えています。私たちは、戦争の恐ろしさは本当に身に染みています。そして、今の平和の憲法は私たちの命と血を合わせて得たのですね。ですから、本当に戦争をしてはいけない。・・・・・・戦争の姿を知らない人がいっぱいって、なんか戦争の残酷さや戦争をしてはいけないということを絶対教えなくちゃいけない。」

国際平和ミュージアムから離れる前に、白岩松は国際平和ミュージアムの名誉館長・安斎育郎に「館長のお考えには、見学者にどんな感想を記憶に残させますか?」という疑問を出した。館長は以下のような答えをした。

「この平和博物館のひとつの特徴として、私たちが気を使うのは、加害と被害の両面を展示することですね。確かに、戦争から日本人の被害も大変なものであって、広島と長崎の原爆被害や3月10日の東京大空襲は日本人の大変な被害です。同じに、日本軍はアジア太平洋諸国を危険の境にさらした国ですね。その両者を展示して、理解をもらいのは大

切な事ですね。」

残念なことに、撮影班が撮影していた2時間のうちに、このミュージアムへ来た見学者の人数は10名も足りなかった。1992年から202_年までここへ見学に来た学生の人数は53万にのぼったが、靖国神社の一年間の500万人と比べれば、確かに少ないと言ってもいい。ところが、立命館大学国際平和ミュージアムは、理性な存在として一部分の日本人の歴史を直面し、戦争を反省するという戦争観を示している。

四、知覧特攻平和会館から見る日本人の戦争観

知覧特攻平和会館は、鹿児島県南九州市知覧町にあり、太平洋戦争の末期に編成された特別攻撃隊に関する資料を展示するために施設したのである。特別攻撃隊は、多くの部隊から編成されているが、最も著名なものが海軍の神風特別攻撃隊である。彼らは主に航空機によって、連合国軍艦艇に対する生還の可能性の無い体当たり攻撃を実行する。

展示物品には、主として戦闘機や神風特攻隊隊員の遺書と写真などがある。戦闘機の中に、一台の戦闘機は唯一の残された実物として、もっとも注目されるところに置かれている。展示物品に着いた解説文は、基本的に神風特攻隊隊員の生命の短さを惜しみ、さらには彼らの犠牲を謳歌するというのである。年配者の解説員は、特にある五人の神風特攻隊隊員の写真をさして、番組側に詳しく説明してきた。

「彼らはまだ子供です。みんな朗らかな子ですから、朗らか部隊と呼ばれたのです。彼らが出発する前の日に、カメラマンはとってくれたのです。・・・・・・この真ん中の子はまだ高校二年生ですが、この笑顔は明日の死を覚悟した笑顔です。」

しかし、白岩松の「それは、本当に残酷なことです、けれど、誰が彼らを死の道に導いたのですか?」という問題に対して、解説員は明確的に答えず曖昧な態度を示した。靖国神社の状況と同じく、知覧特攻平和会館の館長もただ紙面で取材をうけた。館長の答えには、見学者の人数については、近年間毎年60万から70万まで上下していて、安定な態勢を見せる。見学者の年齢と構成については、年配者のほうが多いが、近年以来若者の数も増える一方で特に毎年約4万人から5万人までの学生は、ここへ見学に来る。取材した当日は、雤の日なのに見学に来た姿は絶えなかった。そして、大部分の見学者は年配者であり、普通な場には彼らは神風特攻隊隊員の家書の前に留まって、感嘆の意を発した。そのほか、伝言簿の中にも雑多な気持ちは書き残されて、「感謝」と「痛み」はキーワードである。この二つのクローズ・アップは、印象的なのである。

前の二つのところと違って、知覧特攻平和会館の取材を見てから得た感想は複雑だと言

える。それは、日本人の戦争に対する怨みと生命に対する惜しみをよくわかるようになったが、その一方で、残念な気持ちも持っている。まずは、そこで感情つまり感性があるが、理性が不足で、見学者は感嘆に限って、「一体誰かその若い生命を奪ったのか」という理性な思考を持っていない。そして、神風特攻隊隊員の生命を惜しんだのと同時に、彼らの行為は他の国の若者の命も失わせたり、他の家庭にも痛みをもたらしたりしたことを意識しない。

五、「岩松看日本」から見る日本人の多元的な戦争観

総じて言えば、「岩松看日本」という番組によって考察した結論は、現代の日本人は第二次世界大戦に対して多元的な戦争観を持っているのである。まずは、今の日本国内で「靖国戦争観」を持っている人の数は少なくない。彼らは歴史を曲解し、戦争を美化しようとつとめている。しかし、その少数派である極端な戦争観を巨視してはいけない。そして、「靖国戦争観」と反対し、歴史を直面し、戦争を反省するという理性な戦争観も存在する。ところが、その戦争観を持っている日本人も少数の一部分を占めている。その点は、毎年立命館大学国際平和ミュージアムへ見学に来たわずかの人数から伺える。それは、現状の日本社会でとうとうと自分の戦争観を出張すれば十分の勇気が必要と関係があると思う。「50歳なら天命を知る。私はもう80歳になった年寄りなのだ、自分の命への脅しなんか怖くない。」との渡辺恒雄の話、私ははっきりと覚えている。以上の二つの戦争観の以外、多数派である戦争観は、やはり知覧特攻平和会館の見学者のような不明確な戦争観で、それは、戦争の残酷さや悲惨さが分かったが、日本軍国主義の罪悪への理性的思考が欠いている。不幸なことには、日本社会の発展にともなって、若者はますますそういう戦争観に陥る傾向が見られる。その原因を探求すれば、この前渡辺恒雄が述べた「現代日本人は、戦争、そして日本現代史と世界現代史に関する知識を知らない」という評論に道理があると思う。

おわりに

この文は、「岩松看日本」という番組によって、日本人は第二次世界大戦に対して多元的な戦争観を持っているという結論を出した。多元的な戦争観の中にも、「靖国戦争観」、歴史を直面し、戦争を反省するという理性な戦争観は少数派であり、理性的思考が不足で不明確な戦争観は多数派であるということも強調した。

ところが、テレビ番組だけによって日本人の戦争観を考察したのは、根拠不充分そうであるが、それからチャンスがあれば、できるだけ説得力のあるアンケート調査やデータに

よってこの問題を探求しようと思う。

参考資料

1.中国中央テレビ 「岩松看日本」 202_

2.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%96%E5%9B%BD%E7%A5%9E%E7%A4%BE 3.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E5%B0%B1%E9%A4%A8

4.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%91%BD%E9%A4%A8%E5%A4%A7%E5%AD%A6%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A0

5.http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%A5%E8%A6%A7%E7%89%B9%E6%94%BB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E4%BC%9A%E9%A4%A8

第五篇:日本语の作文

心に影響する言葉

今、三年生にして、自分のことをよく知るかどうか分からなかった、なんとなく残念な人生だと思う。自信に満ちた態度をして、人生の目標を向かって、一生懸命に進めることはどうだろうか。

高校時代の時、大学に入学できるために、毎日必死に勉強することになる。だが、成績が上がらず、下がっていく一方だ。なぜこんな結果になるのか、いつもとおりこんな成績を持って、自分の能力がだめだと思う。母がこのことを知って、「誰でも失敗することもある、でも、それを乗り越えてこそ、新しい自分が生まれる。何度も経験して成長した自分が得られるだから」といった。その時、私はとても驚きになった、母が私のことを怒ったどろか、励ましんだことをくれた。私は頑張ったことを聞きくれたので、すごくうれしかった。元気になったが、自信がない。自分は本当にこの能力を持ったか、とても心配だと思う。こんな時、母の言葉を思い出して、最後まで自信を持って、このことを頑張って、成功することになるだろう。

また、こんなこともあった、ある日、先生のところに行った、先生が「王さん、大丈夫、入学試験合格できるから、元気になって、自信を持ったからよかった」と言った。先生の話をよく考えた末に、自分の問題がやっと発見した、以前は自信を捨てて、自分の能力を埋めて、目標ははっきりしていない、したがってそのまま進歩できない。

先生と母が同じことを言うとおり、自信の問題だ。もし、自分は自分のことを信じなっかたら、誰もあなたのことを信じられないと思う。まず、自信を持って、皆頑張れば誰でもできる。失敗してもいい、失敗は自分の欠点を教えてくれる友達。勉強だって、生活だって、何度もチャレンジして頑張ればきっと成功するだろう。そしてそこには必ずすばらしい未来が待っている。今までいつも母と先生の言葉をよく考えて、大きな影響を与えることになった。

おうびてい1002

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